映画「覇王別姫(さらば、わが愛)」の公開から25年がたった。11月20日、陳凱歌(チェン・カイコー)監督が、自身の出身校・北京電影学院で行われた「覇王別姫」学術上映に参加し、「覇王別姫」の撮影秘話やキャスティングなどについて講演を行った。
「覇王別姫」は、1993年の香港・中国の合作映画。日中戦争や文化大革命などを背景として時代に翻弄される京劇役者の小楼や蝶衣の目を通して近代中国の50年を描く。メガホンを取ったのは中国の著名映画監督・陳凱歌、原作は李碧華の同名小説。 「覇王別姫」とは、劇中に登場する四面楚歌で有名な項羽と虞美人を描いた京劇作品のことである。
主演を務めたのは、今は亡き名優・張国栄レスリー・チャン。「覇王別姫」はレスリーの代名詞ともいえる作品。世界的も高い評価を受け、公開から25年たった今も愛され続ける、中国映画傑作中の傑作である。
目次
人物設定
「覇王別姫」は、約50年にも及ぶ激動の中国を描いた作品。陳凱歌らはキャスティングよりも先に、人物設定を確立させることを重要視した。登場人物の性格をストーリー展開の動力にしようと考えた。まずは、物語の中心である程蝶衣のキャラクターを確定させる必要があった。程蝶衣、段小楼と菊仙の三角関係を二男一女と捉えるか、二女一男と捉えるかは、観る側に委ねられている。ただ、程蝶衣こそが映画の魂であると陳凱歌は述べている。そのため、小説から映画化する過程の中で、程蝶衣の強めな性格に調整されたという。
程蝶衣の人物設定
程蝶衣の性格を決定する際、3つの条件があったという。
第一に、程蝶衣は娼婦の子供で、幼い頃から妓楼で育ったために、汚れた情事を見慣れてしまっていて、そういった男女関係に強い嫌悪感を抱いている。
第二に、幼少期を劇団の中で過ごした程蝶衣は、外界との接触を禁じられていたために、世事に疎く、世間知らずに育った。それは、考えが甘いとも言え、そういった人物が社会に出た時、死ななかったことが不思議なくらいである。
第三に、程蝶衣は6本指であったこと。この設定は原作小説にはなかったが、陳凱歌が追加するように提案したという。この指は、劇団に入る際、母親によって切断されるが、この6本目の指こそ程蝶衣の生殖器官の暗喩であるというのだ。程蝶衣からしてみれば、この指を切断しなければ女形にはなれなかったが、心理的に女性の世界に入ることもできない。指を切断しなければ”我本是女嬌娥,又不是男儿郎(わたしは女、男ではない)”という変化は成立しない。この点こそが程蝶衣の”雌雄同体”の基礎となっているという。
妓楼での男女関係に対する嫌悪から、程蝶衣は、添い遂げた項羽と虞美人へ憧れを抱いたが、それは舞台の上だけの理想でしかなかった。さらに劇団の閉鎖された世界という要素が加わり、程蝶衣は現実と劇の区別がつかなくなり、現実生活でも役が抜けない状態となった。それが彼の悲劇的な運命を決定づけた。
「覇王別姫」を撮り終えた後、陳凱歌はこの映画を執心と裏切りの物語だと思ったという。程蝶衣は自分の舞台に夢中で、世間には一切関心がなかった。舞台と人生の一元化が程蝶衣という人物が最後に体現したものだった。
原作小説では、程蝶衣は最後香港へ流れ、改革開放後に段小楼が香港に興行にきた際、浴室で再会する。しかし陳凱歌は、性格的要素から程蝶衣が虞美人と同じ最期を迎えることこそが整合性のある結末だと考えた。そして映画のラストは、2人が11年後に再会し、程蝶衣が自ら首を切るというものになった。
陳凱歌とレスリー・チャンの出逢い
陳凱歌が初めてレスリー・チャンと対面したのは、マンダリンオリエンタル香港だった。十数年後、レスリーが飛び降りたホテルだ。
台本がまだ上がっていない段階だったため、陳凱歌は口頭で映画の内容を伝えた。陳凱歌は、「どうしたら彼が程蝶衣に適したキャスティングだと分かるだろう?彼が良い俳優かすらも分からないし、この物語は中国国内の出来事だ、香港人の彼にこの役が理解できるだろうか?」と疑問を抱いたという。レスリーは静かに話を聞いていた。しかし全て話終わった後、陳凱歌は突然、レスリーこそ程蝶衣であると思った。そしてレスリーは立ち上がって陳凱歌の手を握り、「僕のためにお話しいただきありがとうございます、僕こそまさに程蝶衣です。」と言ったという。
陳凱歌は、鳥肌が立った瞬間だったと振り返っている。長年キャスティングをしてきた陳凱歌だが、そういった瞬間は唯一一度だったという。まだ最終的にレスリーが程蝶衣になるか決まっている状態ではなかったが、このレスリーの態度は陳凱歌を感動させた。当時、程蝶衣役の候補にはジョン・ローン(尊龍)も上がっていたが、彼のペットやフライトなど様々な事情があり、交渉は進まなかった。陳凱歌は、レスリー・チャンこそがこの役を演じることができるとずっと思っていたという。
陳凱歌が2度目に香港を訪れレスリーに会った時、「途中波乱などがあってもこの役を放棄しないでほしい」と伝え、レスリーは「いつ北京に行ったらよいか言ってください」と答えたという。陳凱歌は「すぐにでも」と言い、レスリーは数日後には北京に来ていたという。
程蝶衣とレスリー・チャン
「覇王別姫」の撮影は幼少期の部分から始まり、6か月ほどの遅れをとっていた。つまり、レスリーの撮影が始まるまでには6か月の時間があり、レスリーはその大部分を京劇の勉強に費やした。
ある時、レスリーは幼少期の子役たちの撮影を見学しに行ったという。少年の程蝶衣が劇団から逃げ出すが戻ってきて、師匠の覇王別姫の話を聞いて自らの頬を何度も殴りつけるというシーンがある。このシーンをレスリーは無表情で観ていたという。その年代の程蝶衣を演じていたのは尹治。自らの顔を何度も殴り、出血もしていた。陳凱歌は尹治を労いに行くのかと思ったようだが、レスリーは何もしなかった。数日後、レスリーは尹治を呼び止め、一緒に写真を撮ったという。その時、陳凱歌はレスリーが尹治を自らの過去のように捉えようとしているのだと理解した。だからこそ、少年時代にどのような罪を犯したのか見ておく必要があったということだ。この場面は印象的だったと陳凱歌は語っている。
映画の撮影が終わって間もない頃、陳凱歌はある夢を見た。レスリーが真っ白なシャツを着て、笑顔を浮かべながら「ここでさようならです」と言ったという。それから十年後の彼の運命を予期したかのようだった。陳凱歌は、レスリー・チャンこそ現実の程蝶衣であり、程蝶衣を演じたのは彼の宿命だったと述べている。
※本記事は「陈凯歌再谈《霸王别姬》 忆”程蝶衣”张国荣引泪目」を参考に、編集・執筆した記事です。