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【日本語訳】大衆電影EXOレイ张艺兴インタビュー20151203:アイドルの大局と小確幸

2015年は张艺兴にとって重要な一年だった。3月には中国の工作室を設立し、彼はSMエンターテインメント史上初の中国での自主的な活動権を得た中国人アーティストとなった。その後、リアルバラエティ番組『極限挑戦』だけでなく、映画『从天儿降』『前任攻略2:キープ反撃戦』の中での素晴らしいパフォーマンスは、この若者が同世代の芸能人が羨む事業構成を固めるためのものだった。
しかしながら、多くの寵愛を受けるアイドルの身でも、彼は生活の中の小さな確かな幸せを見落としているわけではない:初めて本を書いたり、初めて撮影チームに入ったり、初めて韓国のドームのステージに立ったり……それらの単純な理想、シンプルな愛情も彼が大事にする宝物だ。

 

映画の中で14歳の自分に出会う

「あの日、撮影チームの誰の眼も見ることができませんでした、眼が合ったら涙が出てしまいそうで。学冬さんが言ったと思います、彼笑っていたでしょ?他の人に見られるのがいやで、僕は1人で隅に隠れて座っていました、けどコントロールしようと思うほどコントロールできなくなって、心の中は離れがたい、名残惜しいという思いでいっぱいでした。」『从天儿降』クランクアップの日のイメージを、张艺兴ははっきりと覚えている。撮影チームの一群は病院で小宝(赤ちゃん)の身分を鑑定するシーンの撮り直しをしていた、このシーンは2ヶ月前に张艺兴が撮影チームに入って初めて撮ったシーンでもあった。ここから始まり、ここで終わる、そんな言葉のようだった。
2ヶ月、慌しく過ぎていった。しかし、初めて役の中に自分を投じる俳優から言えば、素晴らしい変化だった。チャン・ツィーは初めて撮影チームで张艺兴に会った時、彼の言葉が滑らかでなかったこと、慌てふためいていた様子を未だに覚えている。「当時彼はとても緊張していて、どこへ行くにも台本を握り締めていました。私が台本は熟読したかと聞くと、彼は頷いて、20回読んだと言いました。」チャン・ツィーはそれを聞いて笑った、初めての映画撮影、撮影チームの中の全てに馴染みがなく、照明、録音、美術、撮影、多くの人が各々、自分の決められた軌道に乗って忙しくしていた、たった一人自分だけが残って、自分の場所はどこにだろう、というこの若者の不安を彼女は理解できた。
ましてや何万何千もの寵愛を一身に集めるアイドル、背負わなければならないものも元々1つの役ほど簡単ではない。ソーシャルメディアの時代が到来し、スターの名前が書き換えられるスピードも加速している、以前は作品が先行し、マネジメント会社のパッケージングと計画を通して、芸能人を取り巻く話題を成熟させ、人気を固めるという過程だった、今はファンの自発的な参加により変化している。ファンはアイドルの外見と人格的魅力によって惹きつけられ直接ファンとなる、それが反対にメディアと市場に爆発的人気を引き起こす。EXOという人気チームの中に身を置く张艺兴、まさにこのようなネットでの人気確立の実践者なのである。
当然その中の優秀者として、誰よりもはっきりと、この道を長く遠く歩んでいきたい、ファンの熱烈かつ無償の愛に応えたいと思っている、そのためには持続的に声を出し続けることができる作品を通し、300%の努力が必須なのだ。これはもしかしたら张艺兴が『从天儿降』を選択、2015年に映画・テレビ界の作品において持続的な力を発している要因なのかも知れない。
しかしながら、撮影初日は災難だった。张艺兴自身の言葉を使うと、陳学冬、李小璐は普段はスクリーン上でしか会えない人たちだ、それが突然共演者、演技の相手になった、自分は適切か?どうしたら仲を深められるか?ましてや映画スターが掴みたがる相手役が自分で十分なのか、この柔らかくて、絶えず人を動かし続け、寝たい時には眠る、泣きたい時には泣く赤ちゃんを24歳の「イクメン」が制御できるのか?NG、謝罪、再開;監督と話し合い、人知れず練習し感覚を掴み、そしてまたNG、また謝罪、再開する。初めての24時間、张艺兴は挫折感の中で過ごした。
撮影が終わると、彼は魏楠監督を引っ張っていって心の内の話をした、「皆さんの脚を引っ張っていませんか、傷つく事は怖くありませんから直接言ってください、どうしたら皆さんのペースに付いていけるでしょうか。」魏楠は笑って答えず、学冬、小璐と一緒にKTVでリラックスするように促した。2ヶ月後になると、张艺兴はチェックモニターの前で、画面の中の自分の本能的な反応を見て、飾りのない演技の自然さを持った時、突然悟った。「始めの頃は、演技は模倣だと思っていました。1つの役に入って、その人物の話し方を真似し、行動を真似する。けれどゆっくりと真似ではなくなっていきました、自分こそが彼だと。その後、紅雷さんとこの問題についてアドバイスを求めたことがあります、紅雷さんは、実は演技の最高の領域は生理反応だと言いました、本当の自分を放す勇気を持つことと、その本当の自分を信じる勇気が必要なのだと。」
所謂本当に聞いて見て感じるということは、束縛を排除し、本当の自分を解釈する過程だ。他人の渇望と期待のために生きるというプレッシャーを自分にかけず、アイドルという光の足かせを外し、自分の自由を手に入れる。短い2ヶ月の間、张艺兴は挑戦しながらも悟った。彼は赤ちゃんを抱いて、24歳の母が自分を産んだ時の興奮と不安な感覚を感じていた;彼は身体の本当の反応を拒絶しないし、隠しもしない、美化もしない、赤ちゃんのおむつに対面した時の狼狽とどうしようもない様子は100%素なのだ;撮影チームでの彼は、相変わらず努力をし、礼儀正しかった、しかし24歳の男の遊び心とやんちゃさが弱まってはいない、たまに先輩たちとふざけたり言い合ったり、歌を歌ったり、それは「乐意」という役のイメージに生気を増すためだった。
私は「撮影チームでの生活は単純さや善意を感じさせますか?」と聞いた。彼は考えて言った:「そうですし、全てそうというわけではありません、リラックス感はあります。14歳に戻ったような感覚です。」
14歳の张艺兴?『明星学院』の中の、言いたい事を言い、やりたい事をやる、音楽に対してシンプルな愛を抱いている男の子を思い出す?そういう回帰は、すでにもっと広く大きなステージに立った彼からすると、確かに一種の小さいけれど確かな幸せだ。

本当の自分は捨てるな

GFメンバーとの友情に点数をつけるという時に、孫紅雷はじっくり考えて言った:「俺と艺兴は一番心が通じていた。」彼は本当に心底この世間知らずの弟を可愛がっている、番組の中ではからかっていたけれども。
『極限挑戦』第2期の時、孫紅雷は张艺兴がトイレに行っている間に、遠慮もなく彼の金塊の延べ棒が入ったアタッシュケースを奪い、1人で車を運転し逃げてしまった。見捨てられた张艺兴しばらく傷ついていたが、最後は目に涙を浮かべらも地下鉄の駅で歌を歌ってカンパしてもらった。その後、逃げた「たぬきおじさん」が自ら謝ってきたが、张艺兴は厳しい言葉で拒絶した、その「真面目さ」は兄さんたちの気持ちを乱した、この子は完全にゲームを真に受けているようだった。
番組放送後、张艺兴は少なからず質疑を受けた、「不愉快だ」と感じた視聴者もいた、直接番組にキャストを交換するように建議した人もいた、理由は「こういう知恵を絞り頭を使うリアルバラエティーショーで、5人の大物を小さな张艺兴のなだめ役にさせるな」というものだった。当然味方も少なからずいた、「自分の主張を堅持し、善悪をはっきりと判断し、頑固で、真面目で、まさしく若者の可愛い部分ではないか?」論評の声が押し寄せ、张艺兴も混乱させられた、最後にはやはり5人の兄貴たちがかわるがわる彼に話した:「艺兴、周りの言うことは気にするな、お前の純粋さを失うな。」
賈樟柯が三叔を演じた『後会無期』の中に有名な台詞がある:「子供は合っているか間違っているかで分ける、大人は利害しか見ない。」現実を捉えている、実益の大人の世界での所謂ルールなのだ。リアルバラエティショーにおいて、「リアル」と「ショー」の比重をどう把握するか、「ベテラン」たちは自然と理解しており、たまにずる賢く、計算するこも番組の効果のためだ。しかし、若い张艺兴にとっては、経験が浅く、思い切って本心を出す事ができるのは大切な事だし、天然は天然であるし、却って可愛らしい。このような修飾のない「リアル」は、もしかしたら正確に生産されるスター産業の下では、立ち上る煙のようなアイドル塑像の中では可愛い1ミリの誤差だ。それはアイドルの光のイメージを壊すには至らないし、却って私たちに高嶺の花の子供の性格の中の豊かな色彩を垣間見せてくれる。
孫紅雷は、若き日の自分を思い出させる、この単純で、ぼうっとしてるが真面目な子を大事に思っている。
12回の旅行は、夢のようだった、その道のりで张艺兴は最高の仲間を得た。彼は兄さんたちと一緒に、彼らが赤ワイングラスを揺らしながら、ドラマ撮影の時のエピソードを話しているのを見るのが好きだった。彼は師匠黄磊から計略を巡らす冷静さ、人や物事に対しての分析と落ち着きを学んだ;パフォーマンスの上での難題にぶつかった時、彼は紅雷と黄渤に助けを求めた、演技の方法だけでなく、個人のこれからの発展における困惑、彼らもいつもアドバイスを与えた。王迅が最も優しかった。日常生活の小さなことでも心配してくれた;小猪(羅志祥)は一番彼と遊んだ、会って笑えば憂いも吹き飛んだ。
芸能界の駆け出しの時に溢れるほどの友情を得る事ができたことを、张艺兴はどれほど幸せなものだろうと思っている。私は、今孫紅雷に腹を立てた自分を振り返ってみて、幼稚だったと思うか?と聞いた。彼は恥ずかしそうに:「確かに幼稚すぎました、当時僕はバラエティ番組の属性さえもよく分かっていませんでしたが、今はもう成長しました。」しかしながら、彼は少し間をおくにつれて、「けれど、変わらないものもあります、例えば人と人との間の信頼、これはベースラインかもしれません、もしこのベースに触れる人がいれば、僕はそれをこのベースを守るでしょう。」
24歳のアイドル
2015年10月7日、”魔都(上海のこと)”が1人の若いアイドルのために狂った。外灘の景観大道向かいの花旗大厦(シティバンクタワー)には、ファンの张艺兴への深い愛情が刻み込まれた、この高さ139.6メートル、幅43.2メートル、世界最大のLEDライトスクリーンに「全体兴迷祝张艺兴10.07生日快乐(兴迷全てが张艺兴の誕生日10月7日をお祝いします)」というお祝いのメッセージと、彼のお祝いの写真が映し出された。それと同時に、上海大舞台の声援は天を震わす勢いで、空席はなく、「理解、そばに、期待」というタイトルの张艺兴24歳の誕生日会が開催されていた。
その日の夜、张艺兴は3時間しか寝ていなかった。明け方3時半、彼はまだ会場で1回1回練習をしていた。誕生日会では新曲5曲をパフォーマンスしなければならない、全て彼が自分で作詞作曲したものだ。てんびん座の彼は自分に対して厳しく、ライト、ステージ、曲、振り付け、全て自分の力でやりたがった。ファンたちの熱烈な愛に対して、彼は努力とより良い自分で応えている。
誕生日会ではファンとの交流のコーナーがあった、ファンが質問をして、张艺兴が即興歌で応えるというものだった。ある女の子が「中二病とは何か知っていますか?自分を中二病だと思いますか?」と聞くと、张艺兴の指が軽やかに鍵盤に触れ、美しい音楽が流れ出し、彼の顔にはいたずらっぽさと可愛らしさが浮かんだ:「中二病が何か分からないけど、またに幼稚なのはちょっと愛してほしいです。」女の子の多くが興奮の涙で声になっていなかった。
24歳のこの1年、张艺兴にとって忘れがたい場面がとても多かった。今年3月、1年に及ぶコミュニケーションの努力を経て、彼はやっと韓国SMエンターテインメント初の「パスカード」を手に入れ、SMエンターテインメント設立以来初の中国での自主的な活動権を獲得した中国人アーティストとなった。ところが会社の「特赦」が却って彼に言われもない「腹黒い」というレッテルを背負わせた、疑いの声の中で、彼は沈黙を貫き、堅実なキャラクターで道を固めた。『从天儿降』『前任攻略2』『カンフーヨガ』『飛燕』『老九門』、短い1年で、共演者の称賛、自身の努力は、確かに同年代が羨む事業構成を築き上げた。
しかしながら、彼は道端の小さいけれども確かな幸せをより大事にしている:初めて本を書いたこと、初めて韓国のドームのステージに立ったこと、兄さんたちとの友情、ずっとそばにいるファンたち、それにステージに立つと四方八方からファンが中国語で彼の名前を「小驕傲(小さな誇り)」と叫ぶのを聞くこと……全てが彼に充実感とぬくもりを感じさせる。
誕生日会がフィナーレに近づくと、紫のペンライトが揺れて、人を惑わす星空のようだった。『当你(王心凌の楽曲)』が客席からステージに向かって聞こえてきた、それがだんたん万の大合唱になった:「あなたにちゃんと応えたい、あなたはずっと知らないけれど、恋しいの、幸しいと思う事が趣味になりそうなくらい……あなたに言いたいの、いい間違えるのが怖いけど、あなたが好き、わかってくれる?」スポットライトが张艺兴の身に注がれ、彼は遠くの孤独な星のようだった、目に涙が浮かんでいたかは見えなかった。
ファンの愛は人を惑わせるが、彼は浮かれてはいない。
孫紅雷と『極限挑戦』を撮影していた時のあの1件を思い出す、彼らが道を歩いている時、紅雷がこう聞いたという:「俺を助けてくれる人は?」老若男女皆手を上げた。张艺兴の番になり、彼が叫んでみる:「张艺兴のファンはいますか?」静けさが漂う。そしてそばにいたおばさんが彼の方を叩き、「あなた、何て名前?」と聞いた。
この小さな失落感は、彼にアイドルという身分に違う視点を与え始めた:「ある時突然思ったんです、僕は錯覚の中にいきてるんじゃないかと。毎日起きると、ファンの愛でいっぱいに包まれている、飛行機を降りると、彼女たちが僕を待っています;ホテルでも、彼女たちは僕を待っています;番組の収録でも、彼女たちは僕を待っています。けれど彼女たち以外で、どれだけの人が僕を認識しているだろう?もし僕が自分が人気なんだと勘違いして、努力しなくてもいいと思ったら、それこそ一番滑稽なことです。」
ステージに立ち、彼の星座に向かって张艺兴は黙々と願った:「もっとよくなりますように、もっと長く皆と一緒にいられるように。」人生はマラソンのようなものだ、爆発力と鋭気が重要であるのはもちろんの事、忍耐力こそが勝利を決するキーポイントなのだ。「急ぐことなく、一歩一歩ゆっくりと行けば、自分の道を歩んでいける。」彼は子供のように真面目な顔つきだが、侮る事はできない。

张艺兴との対話

初めて「从天儿降」の脚本を読んで何があなたの心を動かしましたか?

脚本を見た時、特別面白いと思いました、台詞なども新しいアイデアがあって、90年代の概念に合っていました。その時すぐ気に入って、この役を演じたいと思いました。この「楽意(役名)」という役と13,14歳の頃の僕の状態は似ていると思い、昔に戻れればと思い、こういう本を選びました。

つまりこの6,7年の経験があなたの性格に大きな変化を生んだということですか?

影響はありますね、変化とは言えません、影響ですね。生まれつきのものもあります、これは以前と基本的には変わらないと思います。しかし僕は今は芸能人、公共の人間なので、一挙一動が大衆に影響を与えます、特に僕を好きなファンの皆に影響を与えるでしょう、なので責任感は重くなりました、僕も皆さんにもっとプラスの影響を与えたいと自分に要求します。

「極限挑戦」に参加したことも今年の重要な経験でした、ご自身で観て最も忘れがたいのは?

玉龍雪山の階だと思います。自分はすぐに酸欠になって、高山反応が出ました。それから何人かの男性と一緒に雪山を征服して、皆の感情がより近づきました。これ以前は、実は兄さん方に嫌われるのが怖かったりしたのですが、皆さんそんなことはなく、僕の面倒を見てくれました。僕らは早いうちから微信のトークグループを持っていて、いつもその中で話したりしています、玉龍雪山の回の後は、皆何でも話すようになりました。

なぜ兄さん方があなたを嫌うと心配するのですか?

星座かもしれませんね。天秤座の人は他人の自分への見方をとても気にするようで、割と完璧主義で、いつも他の人に気に入ってもらえるように受け入れてもらえるように力を尽くしたいと思っています。当然現実生活の中でも、それほど迷ったりしません。結局僕は人民元ではないので、誰にでも好かれることはないですよね。(笑)まず自分がしっかりしたいと思います。

10月7日24歳の誕生日を過ごしましたが、あの日上海大舞台であれほどたくさんのファンがお祝いしてもらえて、感慨深かったでしょう?

元々は大体15から20曲のファンミーティングを開きたいと思っていました。けれど僕はどの曲も自分で作ったものにしたかったので、歌がなかったんです。出来合いの作品ではなく、作った作品を僕を好きでいてくれる皆さんにプレゼントしたいと思ったんです。僕はファンミーティングを使って、お金を絶対に稼ぎたくなかったし、僕の初心はそうではなかったので、ファンとお互いに親密になりたいだけだったんです。

新刊「而立24」、而立は30歳ですが、なぜ他の人より6年早いのですか?

僕らが90年代だからですよ。多くの人が90年代に対して誤解を抱いていると思うんです、90年代は頭がおかしいとか、皆裕福だとか、何の不安や心配もないと。僕は実はそうではないと言いたいです、90年代は持ってるものが比較的多いかもしれないし、生活も進んでいるかもしれませんが、僕らも大きなプレッシャーを受けていますし、プレッシャーを受ける時間も刃なくなっています。僕の周りには90年代のスタッフがたくさんいますが、彼らの仕事能力は素晴らしいです。当然、僕は70年代、80年代の仕事能力を否定してはいません、しかし、1年2年3年4年と過ぎていくと、90年代はどの領域においても無限の力を発揮できるだろうと想像できるんです。

※参考:张艺兴:偶像的大格局与小确幸
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